上野のルノアール
世の中に不倫はそこそこ点在しているとは思っていたけど、傍観者になったのは、生まれて初めてだった。
上野のルノアールで、美味しいアイスコーヒーを飲みながら、某試験のための勉強をしていた。ノートとレジュメをテーブルに広げて、店内中央に位置する二人掛けのテーブルで。しばらくすると、眞横の二人掛けのテーブルに誰かが坐った。
私は、珍しく、集中してノートに書きこんでいた。とはいえ、否が応でも近すぎる隣の席からの声は聞こえてきた。男性の方が若い声で、女性は年上のような落ち着いた声だった。最初は職場の同僚かしらと思った。昼下がりのこんなカフェの中だったから。そのうち、旅行の話になった。私の耳が聞き漏らさない”バリ”という地名も出た来た。
「二人で北海道も楽しいわよ」
このあたりから、つきあっている男女だということに気がついた。
声の感じからすると、年上の女性に若い男の子が甘えているような雰囲気だった。
次の言葉で、疑惑が生じてきた。「出張にのっかっていっしょに行けないかなぁ。それなら節約できるでしょう」
そして、次に女性の声で核心を突いたセリフが聞こえた。
「奥さんをしっかり、洗脳しておいてよ。」
あらーっ!こうなってくると、二人の顔が見たくて、みたくてたまらなくなってきた。
隣の席とはあまりにも近すぎて、顔を上げると、「お顔をみたいんです」と話しかけているようなもの。げに、おばさんの悲しいサガか、いや、こんな情景なら誰だって隣の人間の顔がみたくなる。
私のアイスコーヒーが残り少なくなった頃、
「これから、どうする?」と彼女の声が聞こえた。
好奇心がいよいよ満たされる時が来た!
2階にあるカフェの造りは、入り口まで窓に沿った階段になっていた。横の席の彼らに一度も目を向けることなく、ふたりが外の階段を降りていくタイミングで顔を覗くことが出来た。
目に入ってきたのは、男性は50代前半、お相手は30代前半とおぼしき「?」と思わせるような雰囲気と容姿の女性だった。
世の中に溢れているかもしれないものでも、個々の実態はこんなものなんだと、必要もないのに軽い落胆を味わっていた。
おっと、それどころではない、集中、集中。