つぶやき

日々のあれこれを気ままに綴っています。

干し柿の出来るまでの長さ

今まで作れなかった分、この秋は干し柿を4期に分けて作っている。

もう5期め分もすでに購入済。これが一番大きくてきれいな柿だ。皮むきも今まで以上に丁寧に薄ーく剥こうと思っている。

総数は多すぎてわからない。

 

これが第一期の最後のふたつ。

 

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子どもの頃は干し柿が食べられるようになるまでに、随分待たされたように感じた。あれはどうしてだったのか。

今回作ったのは、3週間余りで甘ーく美味しい干し柿になった。

できあがったものは、せっせと冷凍している。不思議なことに硬くはならない、柔らかさが十分残っている。

期日前投票

衆議院選挙の期日前投票を昨日してきた。

 

漠然とではあるけれど、今度の選挙は投票率が前回よりあがるのではないかしら。。。

コロナのおかげで、若い人達も政治に少しは関心を持つようになったのではないかと想像する。

昨日は生憎の雨だった。

会場は市役所の中、選挙管理委員会の人に、投票を済ませたのち、

「お疲れ様でした。」と言われた。

こういう状況でのお疲れ様の言葉に、どんな態度で反応を示せばいいのか、今一つわからない。

 

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写真は記事内容とは関係ありません。

自分のキッチン

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人に貸していた自宅が、借主の都合で、急遽空き家になった。

管理をお願いしている不動産屋さんが画像を送ってきてくれた。

 

久しぶりに見る我がキッチン。デザインも自分で手掛けたので、愛着もひとしお。

現在住んでいるマンションの窮屈なキッチンと比べたら、伸び伸び作業ができる。

かといって、料理の腕が上がるわけではないけれど、やはり、ホッとする。^^

 

現実と虚構の区別

最近のネットニュースをみていると、事実が書かれている記事がどんどん少なくなっているように感じる。

 

そういうことを感じるようになった自分が昨夜読んだ本で、その訳が少しわかった気がしてきた。

筆者の池澤夏樹

僕はね、「事実」は他人と共有することを保証されたものだと思います。

それはほぼ皆が認める、というもの。それを土台に健全な社会に向けてすすむことができる。そういった共通認識です。

と言っていた。

 

当たり前のようで、シンプルな考え方だけどとても共感した。

 

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萌し

「萌し(きざし)」という意味より、「萌(もえ)」の方が一般的になってしまったのだろうか?

 

やまとことばにまつわる本を読んでいたら、この漢字本来の意味の、芽が出るから転じて生じた「物事が起こり始める」という意味があった。

改めて見直し、いい言葉だなあと感じた。

 

辞書には若者言葉と紹介されて「萌え」⁑ある人物やものに対して深い思い込みを抱くと書いてあった。

 

今の若者達が正しい意味とかけ離れた使い方をしているわけではないだろう。

言葉の変貌を肌で感じられるいい例かもしれない。

 

辞書に固執するばかりでもない、自分好みの言葉の解釈を楽しむことの萌しを楽しんでいる。

 

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付和雷同

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久しぶりに面白く読んでいる本。

共感するか所がいくつもあった。

そんな中、最近よく耳にする、「同調圧力」を考えさせられた言葉がある。

それは「付和雷同」、辞書には「自分に一定の見識がなく、ただ他の説に訳もなく賛成すること」とある。

 日本の世間は「付和雷同」だと述べて、そこから日本文化について、「臆病と付和雷同とをくっつけたようなところがある」と述べている。

確かに、圧力がなくても同調しやすい文化があるのではと思うことがある。

 

こういところは丸谷才一さんは、なかなか鋭い。

ゆかりの地

数年前半年間、荒川区に住んでいた。

図書館に行ったら、2階に、一時期嵌っていた、吉村昭の特設コーナーがあった。

この地が彼の出身地だと知った。

そして、ある時友人達とお茶をしたホテルのロビー、

そこそこ立派なホテルで雰囲気も良かった。そのホテルが吉村の生家だったと知った。

東京に住んでいたら、有名な作家のゆかりの地もあちこちあるのかもしれない。

 

現在住んでいるのは東京ではないけれど、中島敦の父方の祖父の家が、我が家から徒歩で行けるところにあることを最近知った。中島敦の両親は彼が子どもの頃離婚したため、幼少の頃、この祖父の家にあずけられたとのことだ。

どうでもいいことかもしれないけれど、こういう偶然は少しだけ嬉しい。

 

かなり昔にさかのぼると、この作家のゆかりの地が私の故郷と同じだということは、思春期の少女時代はどうでもいいことだった。

今思うと、学校に講演に来てくれた彼の話をもっとまじめに真剣に聞いておけばよかったと後悔するばかり。

 

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